稲 益 嘉 輔INTERVIEW

創業90年を超えて、これからの造船業

稲益造船株式会社の歴史について教えてください。

 創業者は稲益嘉助(いなますかすけ)で、私の祖父にあたります。1901年、八幡市に八幡製鐡所が出来たことをきっかけに久留米市から引っ越し、八幡で鍛冶屋として働いていました。そして大正初期に入ると、当時の若松市の中ノ島(なかのしま)で船大工として船の修繕を始めました。
当時は木船が多く、鉄船が珍しかった時代背景や、船の数に対して船大工の数が少なかったこともあり、鍛冶屋をしていた関係で機器や鉄を扱える職人として必然的に船大工にシフトしていったと聞いています。大正14年に、若松市唐戸町で「稲益小型造船所」を創業し、船の修繕を営んでいました。

 昭和10年には若松市藤ノ木に稲益小型造船所の工場を移転しました。当時は敷地面積が狭く従業員も4名程でしたが、中ノ島と唐戸町で貯めた資金で土地を購入するなど巨額の初期投資を行いました。
当時は船を引き上げるのに電動モーターやウインチなどが無かったため、船にワイヤーを巻き、牛で引っ張っていました。

 八幡製鐡所の開業に合わせて、若松築港株式会社(現在の若築建設)が浅瀬だった洞海湾を掘り水深を深くして大きな船が入るようになったことで、石炭の積み足し港として、洞海湾が栄えました。

当時の中ノ島(なかのしま)の写真。稲益造船、社長室に大切に保管されている。

 八幡製鐡所は明治時代に官営製鉄所として作られ、その鉄は戦艦や戦車など富国強兵に役立てられていました。
昭和初期に大日本帝国海軍の命令で、数十社の造船所を一時的に一つの会社にして戦争に行く船や軍需用品を運ぶ貨物船の建造・修理など軍事産業を行っていました。
創業者である祖父も徴兵制に従って徴兵検査を受けましたが、目が悪いことが判明したため出征せず、若松で造船所の軍需産業に貢献していたと聞いています。

 原爆が落とされる目標は北九州市若松の八幡製鐡所でしたが、天候の都合で長崎に落ちたと言われています。 もし八幡に原爆が落とされていたら、今の稲益造船は存在していなかったかもしれません。そして終戦後、一つの会社になっていた合同会社が解散し、それぞれの民間企業として再活動し始めました。
戦後間もない頃は、まだ石炭の運搬をしていたため船は多かったと思います。若松は石炭の積み足し港として日本一でしたので、筑豊炭田から石炭を運び、洞海湾で大きな貨物船に「ごんぞう」と呼ばれる作業員が積み込んで日本各地に運んでいました。

 1900年初め頃から昭和初期までは川ひらたから「ごんぞう」が天秤を担いで石炭を運んでいましたが、昭和20〜30年頃に産業革命が起きると筑豊炭田から列車で石炭を運ぶようになりました。
石炭が盛んだった当時の若松駅は若松線の終点で貨物列車や旅客電車が停まるホームがたくさんあり、現在の若松警察署のところには国鉄の貨物列車や普通列車を修繕・建造する鉄道工場もあるなど、大変栄えていました。

 そういった石炭の積み出しは昭和40年初め頃まで続きましたが、だんだんと石炭から石油に変わっていったことで石炭の需要が減り、若松からの石炭の積み出しが少しずつ減っていきました。
戦後5,6年経った頃から木造船より鉄船が主になってきたため、船大工は鍛冶屋にシフトし、使う道具もカンナやのこぎりから溶接やガス切断にシフトしていきました。
その頃から稲益小型造船所でも牛で船を上架させていたのを、機械で上架するようになりました。人の手から機械へと変わっていった時期だと思います。

2025年で創業100年を迎えるにあたり、稲益造船株式会社の展望を教えてください。

 前社長は、「共存共栄」という言葉をよく使っていて、若松で稼いだお金は若松で使うということにこだわっていました。そういった地域貢献や地域との調和を図ってきたことで、隣の造船所が閉鎖するときに土地を売りたいと言ってもらえて、結果的に会社の敷地面積を拡げることが出来ました。会社を大きくしよう、もっと儲けようといった野心を持った経営者であればもっと会社は大きくなったかもしれません。しかし、祖父も前社長もお客様が喜んでくれればそれで良い、儲けは二の次だという考え方でしたので、祖父はお客様が喜んでくれるのであれば小さな仕事ならお金は受け取らなかったこともあるという話も聞いています。

 30年続くだけでも企業生存率は0.021%と言われている中、90年続いているということは、結果的に今までやってきたことが正解だったのかもしれません。

 私が創業100年を迎えるにあたり目指しているのは、「船の修繕や建造に関して若松に行けばなんとかなる」という評判が近辺の船会社の間で話題になるような存在になることです。採用に関しては、以前は若松で閉鎖した造船所の従業員を迎え入れていたため未経験者の採用はしたことがなく、即戦力となる経験者の中途採用のみ行っていました。しかし事務所のスタッフは覚えることが多くすぐに即戦力とはならないため、未経験でも頭の柔らかい新卒を採用する方が良いと判断し、私の代になって初めて新卒を採用するなど、積極的に新しい取り組みを行っています。

 そして、弊社の経営理念に「喜びの職場」を第一に挙げているとおり、従業員満足度を更に高めたいと思っています。社員満足あっての顧客満足だと考えているので、稲益造船株式会社で仕事をしてよかった、という思いで定年を迎える人を一人でも増やしたいです。会社というのは従業員が喜んで働ける会社でないとお客様にベストを尽くせないですし、優しくすることも出来ないと考えています。

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